2009年5月18日から2010年1月24日までの約8ヶ月間に、上尾市内でのインフルエンザA型の陽性患者数は10,361人に達していました。
小学生の罹患率は43%、中学生は38%に及び、総患者数の88%は20歳代までの子どもと若者で占めており、高齢者への感染率が低かったため、重症者や死亡者が少なかったのは救いでしたが、現在の新型コロナウイルス感染症の感染者数が、日本全体で1万人を超えたばかりと比較してみると、大変な感染爆発だったことを痛感します。
新型インフルエンザは、A型インフルエンザと呼ばれることになり、幸い毒性が弱かったこともあり、その後、国はこれを季節性インフルエンザの一つの扱いにしたこともあって、私たちの記憶は薄れています。
しかし、新種のウイルスの感染の広がりの早さの恐ろしさは忘れてはならないことだと思います。
上尾ではいち早く感染の実態把握と情報の共有化のため、
「上尾市医師会サーベランス」という仕組みを確立
新型インフルエンザの日本での感染が始まった2010年5月16日の直後の5月19日から、上尾市では「上尾市医師会サーベランス」という取り組みが始められています。
その内容は、市内の医療機関を受診した人が簡易判定でA型陽性となった場合、医師はその人の性別、年齢、学校又は勤務先、住所、渡航歴や接触歴、症状等を記入した「発生届け」を医師会事務局にFAX送信するもので、毎日の結果を集計し、次の日の午前中までに市内医療機関と保健センターに一覧を送付するシステムです。
保健センターでは、この情報を対策本部、対策委員会、行動計画策定作業部会の各委員会、教育委員会、消防署、各支所出張所に連日転送しました。これによって市のどの地域や学校で患者が増えているかいち早く把握し、注意喚起や予防対策の強化を図ることが可能になりました。
この経験を生かして、教育委員会では市内の小中学校の出席停止者、学級閉鎖や学年閉鎖の数を連日まとめ、医師会や市の関係機関に送付する取り組みを行っています。
また、医師会サーベランスと小中学校の流行状況は市のホームページでも概要が見られるようになりました。
国の対応に疑問を感じた医療関係者と、
市の保健センターが連携して、力を発揮!
厚生労働省は、当初、@7日以内に海外渡航歴があるか、国内で診断が確定した患者と濃厚な接触歴があり、なおかつA38度以上の発熱などインフルエンザ症状のある者以外は簡易検査でA型陽性でも季節型インフルエンザと扱い、確定検査(PCR検査など)は行わないという方針だったとのことです。(新型コロナウイルス感染への対応と似ています)
もしも、A型インフルエンザが強毒性であったら、8ヶ月間で1万人が感染したら大変な惨事になるところでした。
5月から9月までは感染が緩やかで9月7日〜13日の週は陽性患者75人でしたが、そこからは毎週うなぎ昇りとなり、11月の末の週は1,241人の患者が発生しています。
上尾中央病院では陰圧テントを張って「発熱外来」を開設し、新型インフルエンザ専用の診察と検査を実施したそうです。
上尾市のこうした取り組みは、当時全国的に見ても先進的な事例として注目され、雑誌「住民と自治」でも取り上げられ、当時上尾市保健センターの主席主幹として活躍していた渡辺繁博氏の寄稿「現場での経験と教訓から新型インフルエンザ対策を考える」が掲載されました。
その原稿の全文のコピー4ページを以下に紹介させていただきます。




やっぱり「人」を得るかどうかですね、
上尾市の行政は、(私の経験する限り)どうして劣化してしまったのか。
韓国の場合、10年前の新型インフルエンザと、5年前のマーズと2回、検査の遅れで失敗したことを深く反省し、感染症は必ずまたやって来ると検査への備えをしっかり準備してきたと聞いています。
日本では保健所の大幅削減を進めてきたことが、マンパワーの減少だけではなく、経験の断絶にもつながっているのではないかと考えられます。
さらに、上尾市固有の問題として、縁故採用や、幹部登用の不公平が長く続いてきたことが挙げられるのではないでしょうか。